宇奈月ブログ

人生の旅人

家木を低く剪定して思い出す、なつかしさ。


過って飛来して来たモズ

12月に入り日を追うごとに
めっきり寒さが増してきた。

最近での朝は、12度前後に冷え込んで
当然と言えば当然だが、師走らしく
なってきた、といえばしっくりする。

又今年も高くなりすぎた紅葉の木を
バッサリと剪定した。

実は紅葉は、葉が落ちてからと
思っていたが、冬の強風で葉が散り
散らばってしまうのを懸念して
11月に実行した。

今年は、この紅葉を楽しむことは
あきらめた。

ついに庭の高い樹木がなくなって
しまったのである。


寒さが定着して一般的になると、
野鳥が食べるため餌を求めて
飛来するが、

今年は初モズがやって来ない。
大方の理由はわかっていて、たぶん
繁っていた隠れ家とする繁みが少なく
なったことによると思われる。


毎年順次、紅葉、小楢、棒樫の木を
2階の屋根の高さまでに切り
そろえたために隠れる繁みが
少なくなったからかもしれない。

以前は敷地の外周は、高さ3mの棒樫
でおおわれていてある意味この付近では
小さな森にような存在であった。


野鳥と言っても可愛さには変りはなく
例えばモズは可愛くないにも拘わらず、
毎年飛来する姿を見るのは、やはり情が
映るものである。

花、野菜などがハウスで栽培される
季節感を感じ無くなった半面、
小鳥たちの飛来には、毎年同じ時期に
飛来する姿を見ると季節を実感さ
せてくれる
「季節を運ぶ使者」って思ていた。

11月には、ある晴れた夕暮れ
(4~6時ごる)には
どことなく、現れる雀の大群が
(20~30羽)が激しく
さえすり合い枝から枝へと
移動して、1分程度で、
いなくなる現象が
見られて、もう一つの
楽しみの1つでもあった。

これで自分は冬の到来と
感じていた。


あたかも「雀の集会」に様相を
目撃するのも11月のその日、
その時間であった。


この灌木は
私んちに来訪する知人の
道しるべでもあった。

家敷地の中でも
水楢は2階の屋根まであり、
その雄大さは、昆虫たちのたまり
場でもあった。

想い出では、夏は毎年、7月15日には、
弱弱しい第一声の鳴き声で夏の幕が下がり
「夏が来た」ことを実感したものだった。

その声も次第に力強くなり、真夏には
大合唱になり、
初めは、夏の到来で季節感を
味わっていたが、あまりも声の
強さと大きさに、近所に淡い負い目を
少しかんじていた。

あさの早いうちに径30㎝程の幹に
数珠つなぎの蝉が、足元1m付近から
数十匹張り付いていて、徳川時代
「参勤交代の行列の図」ではないが
びっくりしたものである。


季節感の恩恵を失っても
年寄る波には、今のうちに木の高さを
低くする必要は、待ったなしの
ことだった。


ありがとうございました。


完。