今日は何の日?
聞かれると、この日私は、
天六ガス爆発事件
を思い出す。
それほど私にとっては、
忘れられない、事件である。
その日が巡ってきた。
1970(昭和45年)年4月8日
時間は17時45分頃の出来事である。
その事件とは、現在名で言えば、
大阪市北区国分寺町付近で起こった
ガス爆発が有り、負傷者:420人、
死者:79人の大被害が生じた。
事件である。
発端は、市営地下鉄線の延長工事で
ガス管の移動、補強、延長などを
行う工事をしていた。
ガス管の工事で移動等でその前に
十分な補強がおこなわれなかったことで
継ぎ手部分が、外れて地下鉄工事中の
空洞にもれて充満したのである。
誰ともなしに、「ガスの匂い」を
言い出して、関係者や、警察が集合した。
17時35分頃ガス会社のパトロールも
駆けつける事態となった。
ところが、エンスト起きて、
エンジンをかけなおしたのが、
着火となり、漏留していたガスに着火
したのである。
その後の報道の事実は惨憺たる非残
なものであり、私がこの事件に
紛れているとは、知る由もなかった。
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※ この文章は、ブログで書いたものである、
一部を割愛して、再投稿します。
当時私は建築会社のサラリーマン
であり夜学に通っていた。
(高卒から数年が経ちの夜学生であった)
やがて4時半になり、私は退社して
新社員と
大学の入学式に向かった。
私は、家に電話で、事情を話して
遅くなることを道中で伝えた。
梅田から森口駅行きバスは満員で
り過ぎ、
3台目に乗り込んだ。 車内は満員で、
手すりにしがみつきながら揺れる
車内で目的地に到着するのを待った。
暫くして、周りに車が増えてやがてストップ
天六駅(天神橋六丁目)は見える距離だが
バスはストップしたままになった。
転読駅に近づくに従い、車の波が集まって
身動きできなくなってきた。
しばらくすると、周りがざわめき始めた。
「運転手さん、どうにかしてください。」と、
後ろの人が言った。
その言葉が合図となり、周囲で状況に
気づき始めた。
窓を開ける人、しゃがみ込む人、
年配の女性が苦しそうに咳をする中、
ネクタイを緩める人やハンカチで汗を
拭う人もいた。
私は運転手に言った。 「急いでいるんです。
ここで降ろしてもらえないですか。」
私の言葉は冷静に選んだものではなく、
何かに駆り立てられるような状態だった。
皆はもう運転手の静止を聴いていなかった。
私と、連れも 流れに従った。
後ろからの乗降客に押されながら転げる様に
降りた。
運転手の「もうすぐ駅です。」と言っていた
言葉は、むなしかった。
私たちは駅の裏口に回り、タクシー乗り
場に向かった。 幸運にも流しのタクシーを拾い、
安堵して車に乗り込んだ。
二人で「よかった」と少しの会話を
交わした後、沈黙が訪れた。
しばらくすると、車がドドッと
会ったことがない揺れにあった。
もうこれはフツウではないことが
起こった思った。
そして車が横滑りしたようだった。
私は運転手に尋ねた。
「何が起きたんですか?」
運転手は「危ない。ハンドルが
取られたみたいだ。」 と答えた。
私は驚きつつも、彼に急ぐよう
お願いした。
私たちは無事に学校に到着し、
後輩はオリエンテーションのために
別れて別行動になった。
式は予定通り進行し、私は、夜食などを
学生食堂で摂り、時間をつぶして別ルートで
家に帰った。
玄関を開けたときの家内の表情に
に安堵の色が見えた。
「無事だったのね」と言って、
目に薄っすらと光るも見えた。
NHKの臨時ニュースで、大事件を
知っていた。
夜、9時のニュースで、地獄の
様を見て、思わず足をさすった
事を覚えている。
お亡くなりになった方には
合掌。
その日から私の心は何かを引きずり、
約1ヶ月間は不安な気持ちに苛まれた。
整理がついたのは半年後だったかと
記憶している。
(※過去の記事を手を入れて再掲載)
ありがとうございました。
完。