宇奈月ブログ

人生の旅人

52年前「天六ガス爆発事故」で助かり今が有る。

昭和45年(1970年)4月8日、水曜日
今日で、52年が経った。

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bing.com/imagesより
敷鋼板がめくり上り
吹っ飛ぶ

opop7976.hatenablog.com


まさにその時間私は同僚と
その事件現場に向かっていた。

16時半ごろ、
その日は、同僚の夜間大学の入学式があり
同僚は、大阪の地図は不慣れだだったので
18時の式に間に合わすために
わたしが道案内を引き受けたわけであった。

梅田から森口行バスをOSビル梅田大映(当時)
付近で待つ。

多くの乗客たちが待ち構えていて、乗れず
2台のバスともスルー、

3台目でやっと乗った。
しかし都島通りを順調に進んだが
やがて天六駅近くになりバスはストップ。

この辺から、多くに人が集まってきていた。

乗客が、運転手と押し問答を始めた。
私たちも、その話に乗って、その位置で
強制的に下車した。

18時の式に間に合わせるために
私たち、走った。とにかく走った。
二人は走った。


同僚とも地下鉄の天六駅のタクシー乗り場に
走った。

大きなガス爆発事故が天六駅近で
あと数十分後に起こることは
知るよしもなかった。

幸運にもタクシーが客待ちをしていた。
改めて、車が客待ちをしていた。
兎に角、乗り込むのが先だった、

「大学まで頼むわ」

おおよそ計算して
「これか間に合うわな」
心で自分にいいきかせた。

これで 自分も責任が果たせたと
思った。

友人の「よかった」と
ポつんと  言った。



***********

出発して、裏道を走り気持ちが
落ち着いたころ

「ドドドッ」
と低い音が響いた。

「何か、ありました?」と運転手。

「なんやろか」と同僚、私。

「車ゆれましたがな。窓も揺れたしィ」
と運転手。

乗車して、かれこれ5分程度が過ぎていた。

6時からの入学式に間に合って、同僚は式に参加
私は、その後の同僚のガイダンスの為、

別れて、一人で終わるまでを構内で、
夕食、や 構内見学等で暇をつぶした。

学校の行事が済んで、二人は合流。
コーヒーを食堂ですすりながら、成功を
 よろこびあった。

**********

帰りは、同僚と分かれて、
違うルートので帰った。

家に帰りつくなり、
9時のニュースで真相を知っていた
家内が「無事だったん」と、
大粒のなみだで涙ぐんでいた。

11時頃の臨時のNHKテレビ 特集を見て
天六(大阪天神橋6丁目)で
ガス爆発が起こった真相を映像を見た。

息をのむ惨状だッた。見物人が
あだとなったようだった。

あのタクシーでの音は
事実だったんだと、
天六でのガス大爆発に
遭遇したと悟った。

あの時バスで降りていたので
助かったのだろう
「運転手さん、ここで降ろして」と
言わなかったら、助かっては
いなかったかもしれない。

このことは、何十年たっても
忘れない出来事である。

この事故も素をただせば、ガス配管の
水取口のはずれから起こった
些細なことから始まった様である。

死者79名の中にはバスの
中にとどまっていて、亡くなった方が
おられなかったかと、
フットこの時期になると
思い出して、気持ちが
ふさぎます。

あのバスで降りずにいたらと思うと
感謝せずにはいられません。

犠牲になった方々に哀悼の意を
示したいと思うます。

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大阪北区国分寺1丁目5-国分寺公園


●一口メモ●

谷町線は70年3月開幕
大阪万博前に東梅田―天王寺
間が開業し、事故当時は都島駅
までの延伸工事中だった。
土を掘り起こしてコンクリート
の覆工板で覆った地下空間で作業が
進められた。
事故原因となったガス管は土が
除かれ、むき出しのままで宙に
浮いていた。
大阪地裁は経年劣化や掘削と
埋め戻しの繰り返しから管の継ぎ目が
外れ、大量のガスが漏れたと指摘。
「何らかの着火源」が引火し、
爆発したとしている
ー出典:毎日新聞200318」‘



ありがとうございました。


完。