宇奈月ブログ

人生の旅人

大阪天六ガス爆発2-私の備忘録(完)

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天神橋筋天満宮駅付近

opop7976.hatenablog.com



1970年4月8日、水曜日の夕方は5時半ごろだった。

その日は、記憶が確かではないが、

同僚の入学式の現場にエスコートするために
手に持ったものが限られていたので

傘は持たなかったような、
その意味からも朝から天気で
あったように記憶がある。


そして-予想もしないことが
待っていた-----------!!

         
JR環状線を降りて
私たちは、森口車庫行きのバスの停留所、

――当時OSビル付近にあったし
JR 阪急、阪神の乗り場に近い乗り
場だったしーー
に向かった。

何時ものことだが、すでに人垣が出来ていて、
乗り遅れまいと学生や帰宅する老若男女と
でゴチャついていた。

1,台目はすでに見ても明らか満員でスルー
2代目も、並んだ前の人達が乗れば,ダメ、

3台目に来たバスに乗り込み、
待つ時間は30分は待ったかと思う。

前後に小さく揺れながら学校に向かった。
遅延もなく交差点を渡った。

バスは走った。
 
久々のバスに身を任せたが
バスがストップ、に気が付く。

かなり停車したと今思う。

自動車、自転車が津波に押し流されて
行き場を失った漂流物ようだった。

やがて 乗客がざわつき始めた。
 
「運転手さん、何とかなりませんか。」
後ろの人がが言った。

それが合図だったようにあちこちで、
これはおかしいと気付き始めた。

窓を開ける者、しゃがみ込む
年配の女性、大きく咳をする人、

同僚が云った。

「急いでます。
ここで降ろしてもらえませんか。」

なにかに突き動かされていると
ゆうような状態でした。 

では、降りられる方!。
運転手が云った

弾むように急ぐ人に私たちも
加わって降りた。

天六駅に走りながら、
タクシー乗り場に向かって走った。


幸運にもタクシーを拾った。
2人で少しの会話を交わしたのち、
会話が途切れ沈黙して--------

しばらくたって
「ドドッド」と、
どこかしら聞いたことのない
音がして、私たちを車を振動さした。

 車が横滑の様になった。運転手は

                • 何ですか、いまのは。危ないね、

何か起こったん違いまっしゃろか。
不思議がっていた。

しばらくして学校到着し二人は別れた。
何事もなく式のスケジュール通りに進んだ。

二人は、式、ガイダンスの後
わたしは、時間をつぶしながら
9時後に校舎を後にした。

帰宅したとたん家内が
「無事だったん」よかった-
と涙ぐんで聞いたのを今でも覚えている。

テレビでの臨時特集で放送していた。

バスに残っていた人達は
どうしただろう。

私たちだけが助かって。
事故ほんとか。かわいそう。

頭の中がぐるぐるまわった。

私も加害者のような気持ちになり
1ッカ月モヤモヤの気持ちが

ついて回っり、
整理のついたのは

半年ぐらい経過した後
のようだったと記憶している。

一寸の不注意は人災を生み
今も大きな事故---片町線脱線事故など
悲しいけど
無くなっていない。

 ※ 何分遠い月日がたっている為、記憶違いも有ろうかと思いますが、できるだけ忠実にたどったつもりです。背景、事象が若干違うにはお許しくだされば幸いです。  


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https://www.youtube.com/watch?v=kLdiKjaVexE

有難うございました.



完200413