宇奈月ブログ

人生の旅人

想定外の事故からの生還

命をかけるこの4月8日。
数十年前の記憶の中にひときわ
鮮烈な体験がある。

天六ガス爆発事故

https://www.youtube.com/watch?v=ROYvcdgeiR0



当時、私は建設会社で社会人
として働いていた。

ある日、いつもと異なることがあった。
朝、新入社員が入社してきた。
その新入社員は、社員になった
ばかりでありながら、夜間大学に
合格しており、6時の入学式にも
出席すると言っていた。

朝、私たちの勤務が始まる8時になった時
、社長に呼び出された。
私にまだ大阪に慣れていないこの新入社員を
夜間大学の入学式に引率するよう命じられた。
それゆえ、4時半に退社して、
大学への案内をするよう指示された。

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やがて4時半になり、私は退社して新社員と
大学の入学式に向かった。

私は、家に電話で、事情を話して
遅くなることを道中で伝えた。

梅田から森口駅行きバスは満員で
り過ぎ、
3台目に乗り込んだ。 車内は満員で、
手すりにしがみつきながら揺れる
車内で目的地に到着するのを待った。

暫くして、周りに車が増えてやがてストップ
天六駅(天神橋六丁目)は見える距離だが
バスはストップしたままになった。

転読駅に近づくに従い、車の波が集まって
身動きできなくなってきた。
しばらくすると、周りがざわめき始めた。

「運転手さん、どうにかしてください。」と、
後ろの人が言った。

その言葉が合図となり、周囲で状況に
気づき始めた。

窓を開ける人、しゃがみ込む人、
年配の女性が苦しそうに咳をする中、
ネクタイを緩める人やハンカチで汗を
拭う人もいた。


私は運転手に言った。 「急いでいるんです。
ここで降ろしてもらえないですか。」

私の言葉は冷静に選んだものではなく、
何かに駆り立てられるような状態だった。
皆はもう運転手の静止を聴いていなかった。
私と、連れも 流れに従った。

後ろからの乗降客に押されながら転げる様に
降りた。

運転手の「もうすぐ駅です。」と言っていた
言葉は、むなしかった。


私たちは駅の裏口に回り、タクシー乗り
場に向かった。 幸運にも流しのタクシーを拾い、
安堵して車に乗り込んだ。

二人で「よかった」と少しの会話を
交わした後、沈黙が訪れた。

しばらくすると、車がドドッと
会ったことがない揺れにあった。
もうこれはフツウではないことが
起こった思った。

そして車が横滑りしたようだった。

私は運転手に尋ねた。
「何が起きたんですか?」

運転手は「危ない。ハンドルが
取られたみたいだ。」 と答えた。

私は驚きつつも、彼に急ぐよう
お願いした。

私たちは無事に学校に到着し、
後輩はオリエンテーションのために
別れて別行動になった。


式は予定通り進行し、私は、夜食などを
学生食堂で摂り、時間をつぶして別ルートで
家に帰った。

玄関を開けたときの家内の表情に
に安堵の色が見えた。
「無事だったのね」とと言って、
目に薄っすらと光るも見えた。
NHKの臨時ニュースで、大事件を
知っていた。

夜、9時のニュースで、地獄の
様を見て、思わず足をさすった
事を覚えている。

お亡くなりになった方には
合掌。

その日から私の心は何かを引きずり、
約1ヶ月間は不安な気持ちに苛まれた。
整理がついたのは半年後だったかと
記憶している。

(※過去の記事を手を入れて再掲載)


ありがとうございました。


完。