宇奈月ブログ

人生の旅人

天六ガス爆発での命拾い。

4月8日、この日はどんなことがあっても忘れえない。
事件があったのを思い出すのである。

天六のガス爆発事件だった。
「過去のブログの一部編纂して投稿」


天神橋筋天満宮駅付近

事件が起きたのは
1970年4月8日、今から51年前
水曜日の夕方は5時半ごろだった。

その日の記憶は
要所な出来事は覚えている。

後輩が夜間大学の入学式に出席をしている間に、
事務手続きを済ますことを、私がやることとなり
学校まで同伴した。


そして-運だけに支えられた
予想もしないことが待っていた-----------!!

         
JR環状線を梅田で降りて
私たちは、森口車庫行きのバスの停留所、
に向かった。

1,台目、2台目はすでに満員でスルー。
3台目にようやくのれた。

しばらく順調に走った。

バスに身を任せたが、
バスがストップ。
かなり停車したと今思う。

天六駅の停留所まで100mぐらい付近だった。

自動車、自転車が渋滞に
行き場を失った漂流物ようだった。

やがて 乗客がざわつき始めた。
 
「運転手さん、何とかなりませんか。」
後ろの人がが言った。

それが合図だったようにあちこちで、
これはおかしいと気付き始めた。

同僚が云った。

「急いでます。
ここで降ろしてもらえませんか。」

「では、降りられる方!。」
運転手が云った

弾むように急ぐ人に私たちも
加わって降りた。

天六駅に走りながら、
タクシー乗り場に向かって走った。
入学式まで、時間はそう残っていなかった。

幸運にもタクシーを拾った。
「大学まで」と頼む。
2人で少しの会話を交わしたのち、
会話が途切れ沈黙して--------

しばらくたって
「ドドッド」と、
どこかしら聞いたことのない
音がして、私たちを車を振動さした。

 車が横滑の様になった。運転手は

                • 何ですか、いまのは。危ないね、

何か起こったん違いまっしゃろか。
不思議がっていた。

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しばらくして学校到着し二人は別れた。
何事もなく式のスケジュール通りに進んだ。


9時後に校舎を後にした。

帰宅したとたん家内が
「無事だったん」よかった-
と涙ぐんで聞いたのを今でも覚えている。

テレビでの臨時特集で放送していた。

前のバスに残っていた人達は
どうしただろう。

私たちだけが助かって。
この気持ちがついて回った。


重軽傷者420名
死者79名の
大惨事だった。


有難うございました.
おやすみなさい。


完。