宇奈月ブログ

人生の旅人

我が家の雑草たち。

周りには様々な美しい花がある.
私の庭には、余り花がない。

だが、花々と同じように愛でている樹木がある。
牧、棒樫、山茶花、そして紅葉や藤の花の
低灌木を愛でる日常があるからである。

だがらと言って花が嫌いではない。
過去は、それなりに花はあった。
(今は、ホンの少しは、花はある。)

手入れ作業に手が回らない
だけのことである。






だから雑草にしても私にしたら、鑑賞の対象
になる。
可憐な花ほどその感が強い
庭に咲くレンゲソウをはじめとして、である。

何気なく見ている花のなかで、はっと心の
琴線を引き覚ますときが有る。

ドクダミでさえ、あの白い可憐な花が咲く時は、
幼少時代に闘病生活を送っていたころの自分を
鮮明に思い出す。よくぞ生きれたと。

季節が来れば、どこともなく飛んできて
私の家で種を咲かせ、やがては散っていき
一生を終わるのである。

誰も一瞥もされないが、だれか一人でも
気にかけるひとがいて、それが私一人で
あってもである。

花は季節の羅針盤と私は思っているのである。
ある遠い昔、孫と電信柱の根元に名もない花を
摘んだことを思いださせてくれたりする。

小学校の帰りの子供の手に、春の花の束が
握られていた記憶を思い出させてくれるのも
雑草であったりする。

きっとその時の気持ちは大切なもので
あったのだろうと思わしてくれるのも
雑草であろうか。

雑草も邪魔にならない限り、自生は寛容で
あってやりたい。





ありがとうございました。

完。