1995年の今日、1月15日火曜日。
阪神・淡路大震災が起こりました。
まだ、かすかにあさぼらけの状態の
6時14分前、震度6の大地震は
近畿の神戸をはじめとして尼崎、芦屋
等の瀬戸内海年を浸潤して、さらには
京都、大阪に震度5の力で主要都市を
襲いました。
人々はやっと眠りから覚めた状態
だったと言われています。
早起きの家庭では、朝食の準備に火力を使い
朝食をサービスする店舗でも、火を使い
開店の陣日をしてたでしょう。
寺院ではお燈明の灯がともされて、修行の
祈りに入っていたかもしれません。
これはあくまで推測ですが、
当時の三宮駅ではすでに一番電車が
動いていたかですが、最新の大阪環状線
始発4時49分(天王寺発)とあるので、
すでに5時には動いていたかもしれません。
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この日11時には、神戸市役所に建築確認
確認の書類を提出することとなっていました。
ところが、こんな事態になり、大いに
困ったものです。
いつもであれな役所の始まる9時には電話が
繋がるのに、一向に繋がらず、何回掛けたか
分かりません。
その状態から、3日後に何とか連絡がついて、
一週間後に、審査の順番のために神戸市役所に
伺いました。この3日間は本当に長い日でした。
直接阪急電車はつかえず、車で大阪から1時間かけて
市役所に到着、この物件の審査の話し合いがもたれました。
神戸市役所の内情を見る限りでは、事情が分かるのだが
施主の事情があり、どうしても工期の短縮の命題が
あったため、その交渉は、苦労しました。
遅れれば、違約金の請求がまっていたからです。
ところが、審査の受け付けてもらったのは
2月の終わりでした。
その後の審査は無事降りて、工期を遵守した結果
半月ほど工期の短縮がされて、施主からは
労いの言葉を頂いて、喜んだものでした。
ありがとうございました。
完。