宇奈月ブログ

人生の旅人

遊歩道桜の桜とゴルフ練習

1957年中村寅吉さんの海外優勝から、
65年目
松山秀樹選手 遅ればせながら
おめでとうございます。

日本人が、どうしても挑戦で外国勢に押され
青木、中島選手を経て1909年に片山選手の
4位を最高に、後塵に甘んじていました。

そして、 臥竜の思いは
ついに松山選手10年目に
輝かしい栄冠となって輝きました。
フワンの悲願でのありました。

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さて天気の良い気分っ通い時は、
体もスムーズに動く。
早速、出かけることとしました。

遊歩道をと通りながらゴルフ練習場に
行ってきました。

春たけなわであり、一時からすれば、
ずいぶん暖かくなり川岸のアメンボウ
たちも軽い泳ぎを見せていました。

川岸の桜も いまを盛りと咲いていました。

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向かうクラブは、
有名な建築設計事務所が設計した建物です。
そのユニークさは、
かって優れた建築として建築雑誌に
掲載されました。

幾分、順番待ち時間はある、
空き打席がないので、15分程まった。

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やがて順番が来て大体、一回に150球程度打つ。
体が、じっとりと汗ばんでくる。
いい運動、体がそう言っているようだった。




  ●一口メモ●

少し日本のゴルフ歴史を振り返ってみました。

1、 日本のゴルフ歴史
日本では、1901年がゴルフの黎明期であり、日本に居住していた
イギリス人の貿易商(アーサーヘスケル・グルーム)の自分の敷地を
改造して開いた4ホールからなる、ゴルフ場でした。
その後改築されて、9ホールまでになったとつたえられています。
そして、この9ホールこそが
日本最古の「神戸ゴルフ倶楽部」でした。
しかし当時は、参加者は135名で日本人はわずか7名でした。
日本ではまだまだ庶民には手の届くものではありませんでした。

そのご間もなく東京に日本人用として初めて「東京倶楽部」が
誕生します。1913年のことです。

それから太平洋戦争からの復興にもあまりゴルフには縁がなく
しばらく下火となりました。
1957年にカナダでカナダワールドカップが開催されて

中村寅吉、小野紘一プロの団体優勝
中村寅吉プロの個人優勝
がありました。

このことは大変なことで、この偉業には、テレビ完全を通して
日本中が熱狂しました。

どれから順調にゴルフ人口も増えていき、ゴルフ場も世界中で

その数、 38864か所

日本では
アメリカ―17、672か所
② イギリス―2、743か所
③ 日本―――2、442
④ で3番目の多い。

ありがとうございました。
おやすみなさい。