宇奈月ブログ

人生の旅人

ザ・プリッツ(ロンドン大空襲)

1940年9月7日の今日事件は起こった。


当時、20世紀には
帝国主義を目指していたヨーロッパの
各大国には様々な、不均衡な政治情勢が
よこたわっていた。

20世紀の初頭、ヨーロッパでは、

3国同盟国――ドイツ、オーストリア
イタリア
3国協商国――イギリス、フランス、
ロシアの「3国協商」が
あった。

各国の複雑な対立があり、セルビア
青年がオーストリアの皇太子を
暗殺した事件が起こった。

いわゆるサラエボ事件と呼ばれる事件
が起こり、この事件が大戦の発端で
あった。

争いは、ついにはオーストリア
セルビアに宣戦布告する事態となり
第一次世界大戦に突入した。

同一民族と考えたロシアはセルビア
支援のために参戦したのである。

そうなると、影響が広がって、同盟国、
であるドイツ、イギリス、フランスも
参戦して、大きな戦いに発展したので
ある。

ポーランドを侵攻したドイツは、
さらにイギリスに侵攻を目的に
6か月間にわたる攻防戦が
おこなわれた。


さらにはフランスの
宣戦布告もかかわらず。フランスは
1940年6月降伏することとなった。

そして1940年9月7日(土曜日)
ドイツ軍はフランスを拠点にイギリスの
占領を掲げて、イギリス大空襲を
仕掛けたのである。

イギリス本土上陸の前哨戦として、
ドイツ空軍は空軍による侵攻
を仕掛けたのである。
この戦いを「ブリテンの戦い」と
言われている。

長い長いロンドンを中心とする
空襲が1940年9月7日から続いた
のである。

犠牲になった市民は、5万人に達して
いたと言われる。

しかしこの戦いには、ドイツの敗北に
終わり上陸はとん挫する。
1941年5月11日に終了するのである。

この1940年9月7日~1941年5月11日の
ロンドン大空襲を

「ザ・プリッツ
と呼ばれたのである。





ありがとうございました。