宇奈月ブログ

人生の旅人

2022/2/24 ロシア、ウクライナ聖戦の覚書:1、(開戦~キューイ侵攻まで)

ロシアが2022年2月24日にウクライナ
侵攻して1年4か月が過ぎました。
ロシアのウクライナの侵攻は突然で
世界の何人もよそうしませんでした。
でその幕は切って落とされました。

ただ歴史を振り返ると、ロシアと
ウクライナとは2014年には戦果を
交えています。

発端は、ウクライナに親派の大統領から
親米派の大統領に代わったことから、
小競り合いの中で、軍隊を出兵させて
クリミア半島を自国(ロシア)の
国民を助けると称して併合に至りました。

併合に至った経緯には、当時ジョウジアから
分離独立を求めてきた南オセアニアとの間には
紛争がありました。その流れに乗ってロシアは
軍事介入して、クリミア半島
併合となったのです。

そんな流れの中で、ウクライナの東部では
昔からのロシアの国民が、住み着いていて
ウクライナを良しとしない親ロ派は
ロシアの援助を行い内戦となりました。

その後は、お互いは譲らず膠着状態から
停戦に至った経緯があるのです。

ウクライナでは親米派のセレンスキー
大統領に変わったわけですから、良しとしない
ロシアは、ウクライナに侵攻することを
「このままではロシアの国土はじり貧になる」と
策をもって、決断したわけです。

判らないように、訓練であるかのように
付近に大部隊を集結させて、
一気に侵略を開始しました。

まずロシアは国境からキーウまで10キロに
迫った空港の完全に航空機能力をマヒさせて
空港を制圧。空中権を制圧しました。
(朝テレnewsより)

しかし、侵略はすぐに失敗になりました。
空中権の命と言われれ滑走路を使えなく
してしまったのです。大量の空輸部隊の
離発着を阻止する目的出した。

もし、ウクライナがロシア領土の攻撃の
ための空中権を持っていたら、将来を考えて
滑走路は破壊しなかったかもしれません。
必要でしたから。

そもそも
侵攻が始まる前2月の寒い冬の時期、
不審な発光体が至るところで見つかって
いました。
ウクライナのスパイによるものでした。
また、ロシア清教徒会の2人の神父が
空港行の手引きしていたことが、
ウクライナの領土防衛隊
によってわかってきました。

ロシア軍は、ホストメリ空港を
使用不能にして空輸部隊が使われないよう
にしたために、一度は退却して、
ベラルーシからの行軍、輸送を
陸路へと、変更を余儀なく
されました。

ロシア軍は再度ベラルーシから
キーウを目指すことになりました。

ここでロシア軍の戦略が大きくズレて
相当迂回をしてキューイを目指して侵攻
しましたが、ウクライナ軍には
水門を破壊されて、キーウからの
40km北のデミデイブ村は広範囲に水没
戦車部隊は通れず、一度引き返を
余儀なくされました。






ありがとうございました。
(続)