宇奈月ブログ

人生の旅人

日本の読み違いにより連合軍の勝利に傾いたのかもしれない。

80年前の今日、1941年12月28日、
日本は米、英の連合軍に対して
宣戦布告をしました。

簡単に太平洋対戦がはじまった筋を書けば
次のようなことでありました。

日米交渉が決裂したとみるや海軍艦隊に

ニイタカヤマにノボレ1208」の打電
により、6日の未明を合図に出撃したのです。

すでに、日本軍は、東南アジアには
進行していて、その少し後に真珠湾
に向けて出港していました。

当時、アメリカ艦隊は、
真珠湾に集結していたていて
主導権を持っていた海軍の山本五十六
連合艦隊司令長官を拝して、日本時間6日
真珠湾奇襲を仕掛けたのです。

この未明の攻撃でアメリカ軍側に損害を与え
多数の戦艦を撃沈、座礁
を与え、戦果は大きなものにしました。

ただ、アメリカから見たら幸運にも米艦隊の
空母は、すべてこの艦隊には集結
していませんでした。

この大戦勝に日本ではトラトラトラの
無線受けて本国は沸き立ちました。


そして行き過ぎた蛮行は
4年にわたる世界を巻き込んで行われ、日本人
300万人と言われれる犠牲の上に行われたのです。

いかんせん物量に劣る日本軍は、ジリ貧の
戦いとなって、原爆を広島、長崎き受けて
降伏の憂き目の敗戦に至りました。

ネットニュースによれば、真珠湾攻撃
前日には、ハワイでは「ハワイアン」の音楽が
流れていて、この進軍を予想する雰囲気が
なかったようだと書かれていましたので、
自信を日本軍は持っていたかもしれません。

艦載機による攻撃での戦果は、制空権を
一時的にでも真珠湾に展開させ
日本軍は、その空の制圧はこれからの
戦争には、必須であることを
知っていたに違いありません。

敗戦の要素に中には3つの読み違い
要素があったとのではないでしょうか。

①空母(海上の飛行場)が無傷であったこと。
 その後の戦いでは空母による艦載機で
ほとんど制空権を
アメリカ側が支配ている。

②戦争開戦と戦線布告の後先が逆になり、
アメリカ国民の道義的な不信を誘い、

この戦いで有利な交渉を考えた日本に
は、反対にアンフェアーな国民の
印象を持たれて反発と団結力を
固いものにした。

真珠湾攻撃に当たっては、
空母に損害を与えれなかったのは
その後に悔い残したでしょう。

③機械暗号が解読されていた。

読み違いがなかったら
世の中は変わったかもしれません。


80年の月日がながれ、戦争が
平和を得る手段とならないように
しないといけません。






ありがとうございました。

完。