宇奈月ブログ

人生の旅人

第悲劇の連鎖、能登半島地震の被害から思うこと。(2)


NHKテレビ報道より

輪島半島地震をはじめとして、
大きな地震は数年の間に5回も
起きています。

日本中の多くの国民が罹災
されました。
生命の基盤である住宅を
喪失した国民は、その後の
生活計画と設計が難しく
なり、これは非常に
悲しまれることです。


地震で罹災された人は、
その時点からでも日常生活を
続けていかなければ
いけません。

一生に一度の手に入れた
住宅が損壊したら
くやまれます。
悲しい事です。

1. 国の責務と現在の対応

地震が発生すると同時に、
各官公庁の職員(自衛隊
消防庁、警察など)が出動し、
被災者の救出活動が
行われました。

さらに国は、地震
発生した時から、救助対策
として避難場所の提供を
提供したり、避難した人の
プライバシーを確保しながら
地震の情報を一元化する
ネットワークを構築して
罹災した後の国民の安全を
確保するために努力を重ねて
難局を乗り切る努力を
重ねました。

これまでの地震における
対策の良い効果により、救出、
避難、保護は多くの犠牲を
払い乍ら比較的無事に
収まっていました。


2.発動により生ずる事象

この地震費用は、地震が起こる
たびに政府には費用が掛かって
います。
それも全国を絡めると年間の地震
対策費用は相当莫大なものとなる
ことは想像できます。
建物の耐震不足によって、
住宅の倒壊から都市機能の麻痺が
生じたことは明白であることから、
住宅に耐震性能を持たせる必要が
あるわけです。

災害の世界でも医学の世界では、
すでに罹ってしまった病気に、
採られている対症療法から
疑わしい初期の病気の診断で
治療する予防療法が推奨されて
いると聞きます。長い目で見れば
国も助かるし、罹災者も助かる
わけです。

それと同じようにどんな建物も
耐震の法制化を急ぎ、国民の啓蒙を
さらに積極的に進めるべき
でしょう。


3.最重要な提案として。

ところで、建築基準法では、
1981年6月1日に「新耐震」
として生まれ変わり、
一方、5月31日以前の
建築物は「旧耐震」
として、区分されています。

耐震化が必要な建物は、1981年
以前の建築で「旧耐震建築物」と
言われる建築物です。

圧倒的に2階建の木造住宅
が、耐震化を必要としています。

耐震化された住宅が」増える
ことに比例して都市の安全も
増えていくことになります。

国の地震対策費用の激減に
供与するのは、云うまでも
ありません。

耐震化住戸の増加で変わることは、
・耐震化によって人命が救われる。
・災害時でも避難、救助通路の確保が
容易になる。(壊れにくいから)
・ 政府の財政の健全化に寄与する。
・ 災害時の物資の運搬が容易。
・ 倒壊による火災の縮小。
・ 避難の場合の通路確保が容易。


となるでしょう。


新基準では地震時の取り扱いが、
追加されて、地震に対する
検討する項目が、重要な要素
となりました。

特に、筋かい(壁量)の追加が増えて、
クリアーできる建物も多くなって
きました。

補強費用は、今までの膨大な
地震対策費を振り向けることで、
できることからやっていく
事が、大切でしょう。

国民に、こまやかな啓蒙の
説明と耐震補助の充実を
を加えて、耐震化を進める
ことは、国の経済の足腰を
丈夫にする光であると
考えます。
決して地震には負けられません。

日本は、地震大国ですから。

「旧 耐震」住宅の耐震化の
法制化やその費用の補助の充実。
大いに望むところです。


ありがとうございました。



完。