宇奈月ブログ

人生の旅人

幸運な米の出現

親戚から新米が、届きました。
親戚には四日ほど前に懇意に
している知り合いから、届いたと
言うことでした。

おすそ分けに持ってきたと、いって
居ました。

早速、開けて有難さをかみしめ
ました。







一時は、どんな米でもありがたく、
タイ米(インデカ米)など
いつもは口にしない米でも、代わりに
手に入ればありがたい気持ちに
なりました。

幸い、とつぜん舞い込んだ幸運の米の
出現で喜んでいるところです。



*****



思えば「変だな」と思い始めたのは8月
に差し掛かる頃でした。

その時は、送っていただいた米を
使うことができたのですが、

opop7976.hatenablog.com


いつまでもあるわけではないので、

スーパー、ネット、などから手に入れる
様に、動いていました。

その時は、米は品薄でしたが、値段は、
当時ではあまり変わらなかったよう
ですが、すでに品物が、「早いもの勝」
の状態でした。

あれから二か月、新米の放出で流通は
良くなり、求めやすさは、少しづつ
和らいでいきました。

一方では、心理的に和らいではきた
ものの、値段が、ジリジリ上昇すると
言うことが起きて、うなぎのぼり、
10kが6~7000円にもなる事になれば、
大変と気の重い気持ちだろう考えます。

方針を替えて、新政府は、第一に
「米価の安定」は国民の大いなる公約に
してもらいたいと願うところです。

平成の米騒動

思えば、
1993年、「平成の米騒動」なることが
起こったことは、皆さんは、何だったかな
と忘れている方が大半ですが、

当時の気候は大冷夏で、前の年の
生産にくらべて平年の7割5分程度まで
米の生産が落ち込んだのです。

もろもろに理由はあり、気候、前年まで
の米の在庫のが少なかったことも
影響しています。

結果、不足を補うために「緊急輸入」に
踏み切りました。
ほとんどが、外米としでしたから、
日本人の口には合わず、98万トンが
在庫として残りました。

1934年には、天候不順の気候から一転
ラニーニャ現象となり「大豊作」と
なりました。

この状態に消費者が巻き込まれて、
混乱しました。
米騒動にはこんな歴史があるわけです。

参考:
DIAMOND online
2023/06/13
2:30


ありがとうございました。


完。