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1949年(昭和24年)、1月23日は、
過去を含めて3回の総選挙か行われたが、
日本国憲法が,施行されて初めての衆議院選挙と
なった。
衆議院総選挙があった。
終戦から立ち直ることができたとは
言いながらも、立ち直り方は緩慢で、
まだしっかりせずGHQの指導が
色濃く残っている時代背景があった。
当時は大きな疑獄事件(昭和電工が
舞台となった収賄事件)が有り、
芦田首相は逮捕されて、基盤が弱まり
当時の情勢は民主自由党が優勢とは
言われたが、その当時の情勢からは、
単独で政権獲得はむつかしく、
連立を組む必要と考えた。
その後、政権の同士の葛藤が有り
第2時吉田内閣の民主自由党単独で
政権を運営する運びとなった。
少数派の吉田内閣は、解散をする旨を
画策するが、他の党から了承が得られず
かえって、内閣不信任を受けて
解散の運びとなった。
そして、1949年1月23日初めて
日本憲法の下で、衆議院そうせんきょが
行われた。
結果は、
民主自由党248議席党の圧勝。
社会党の▼95議の48議席に凋落。
共産党の△5議席から35議席と大躍進。
などとなった。
思うのだが、
この時の国民の意識の変化はマグマが
噴火したような強烈な結果となり、
解散前の議席の大幅な増減にに驚かさ
れた。
つまり、今までのGHQの
を中心とした言いなりの
議員たちを見て、
国民は日本憲法を意識しながら
批判票を入れたのでしょう。
日本人の心を投票に託したの
でしょう。
(NHKアーカイブ
ウェキペディアなど参考)
ありがとうございました。
完。