宇奈月ブログ

人生の旅人

散策と私:成正寺 (しょうしょうじ)と 大塩平八郎

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私は、久しぶりに、電車を乗り継いで、

大阪市の中堅地域で、文教地域でもある、

大阪天満宮界隈にぶらり~と何も考えずに

行ってきました。

何と言っても 日本一長い商店街があります。

前長2,6kmもありますよ。自転車でも16分、

歩いては40分以上。食べ物良し。安い。

なんでもある地域です。

私は友達が生活していた関係で、この地域で

お世話になったものです。

友人を訪ねて―――見慣れいてた道、 、

その途中、商店街を抜け、

えびす神社の参道に



お寺がありました。

今日まで気にかけませんでした。昨日知るきっかけが出来て



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f:id:opop7976:20190711110241p:plain日蓮宗 成正寺 (しょうしょうじ) 

に興味を覚えました。

お祭りされている方を 皆さん知ってます?。

大塩平八郎。(1797ー1837)、44歳で没

ご存じも方は多いでしょうね。

歴史上の人物です。事件を簡単に言いますと、

私見ですが、ざっくりとお話すれば、

歴史上、大坂は 徳川時代に、重要な

交易都市で、さらには幕府の重要な直轄地でした。

警察職与力の平八郎が、身を犠牲に

人民の飢餓を救うため富豪などを襲撃、

金品を奪い、人民に分け与えようとすることを

同志たちと画策します、

やはり首謀は自身であり、

のちの幕府を震撼さすこととなります。

のちに実行を貫徹の果たせぬまま、

豪商にてかくまわれますが、

潜伏先を感知した幕府に包囲されて、

自害してしまいます。(1837年)。

平八郎は義憤が人一倍強く、義賊の面が

強かったと見れないでしょうか。

時代背景には、武士と商人との間に

貧富の差が大きく広がっていた事

(つまり、太平の世の中で武士は武力を

必要とする時代でなく、武士の家を維持する

出費が収入を上回るため豪商等に借財する。

言い換えると没落する。)

太平の中、一方商工業がさらに栄えて、

豪商たちの栄える舞台となりました。

また上級役人たちが、平民たちの困窮状態が

豪商たちの、例えば「買占め」「売り惜しみ」

に関係している事を掴み切れてなかったこと。そんな時、

平八郎は陽明学者として時代を読み切る目が有ったのでしょう。

でも彼の正論は、やはり正しく行使しなければなりません。

反乱は不可です。彼は当時44歳です。まだ先は有るので、

役職を上がり詰めてからでも、平和的な解決は、決しておそいとは思いません。

今回は、開門してあったので、お寺を訪問しま

したが、

改めて思いますのに、静寂なうえに門を潜ると、

どちらかと言えば門構えは普通の質素な構えですが、

内部は、お墓の豪華な、そして厳かな佇まいがみられて、

後世の人たちが、大塩平八郎さんを、ご供養を捧げて守り続け

ている心関係者の優しさと、平八郎さんの平民への接

し方への共感は、現代にも生きている様に感じられました。


毎年節目には行事も行われて、お坊さんをよんで、行われるとのことです。


以上。
最後までお付き合い有り難うございますした。



完。