宇奈月ブログ

人生の旅人

内戦の引き金となった「アラブの春」運動


2011年に始まったシリア内戦は、
シリア政府軍は反政府軍団の
攻勢に遭い、アレッポ
失いました。
さらには。よりどころとしていた
ダマスカスをも制圧されました。

内戦が始まった時期からようやく
13年目にしてアサド大統領はその
地位を放棄。

完全にシリアは崩壊しました。
そしてアサド大統領は国外に逃亡
するに至りました。

この放棄については、すでに
各支援国、支援団体に知らされて
いたということです。

一体この内戦のきっかけは
何だったのでしょうか。

中東では、チュニジア
民主化が成功していました。
アラブの春」運動が
広がっていました。


そのうねりはアラブ
全体に大きな影響を与えて
いました。

2003年3月アメリカは、
ブッシュ大統領は)大量破壊兵器
などの隠匿があるとの嫌疑から、
イギリスと国連の許可なしに
戦争を仕掛けました。

一方的に仕掛けた戦争は
5月にイラクは陥落して
フセイン体制は終焉
しました。

フセインは2006月に処刑され
ました。
しかし其の大量破壊兵器
見つかりませんでした。
(NHKアーカイブより)、

「うそで支えられたイラク
戦争大義」の見出しで
朝日新聞は解説しています。

フセイン政権が崩壊してその後、
アラブの春」思想的な運動が
起きました。

その後其機運か広がり、民主主義化の
風は吹き、其の風は止まらずついに
2011年リビア内戦に火を点けたのです。
そして、指導者のガタフィはこの年
暗殺されてリビアは崩壊しました。

その後の目的としていた「春」
には程遠い状態が続いています。

そして、その春の思想は、容赦
なくシリアに吹き始めました。

そして、結果は、民主化には程遠い
民主化の望む民主主義は、その
恩恵を受けたい受けたくないに
かかわらず生かされませんでした。
そしてシリアは崩壊したのです。

これからのシリアは、まだ混沌
とした状態にかえる要素を
含んでいる様に思えます。
反政府団の利害が大国(ロシア、
イラン)の力も含んで紆余曲折の
道筋を通ることになるでしょう。


ありがとうございました。


完。