宇奈月ブログ

人生の旅人

春、春の雨に思うこと。

春の天気は気まぐれ。
今日は朝から雨。小糠雨。
しとしとと言うより
ハラハラと降り続いている。
音もなく。

地面を見ても、大きな水たまりはなく、
通り過ぎる自転車の陰が反射して
かすかに映るだけ。

私の贔屓にしている紅葉樹が うす鉛色に
塗りこめられた天空に一層若葉を伸ばして
咲いている。黄色の色が映える。
小糠雨でしっとりと濡れたのもまたいい。

心なしか、今の紅葉の若葉が 柔らかく、
まるで幼児の手の感覚で愛くるしい。

今日は雨。紅葉も私と同じけだるさが
漂っているような咲き方である。

私も昨日の夜更かしがたたり、
体がだるい。






春の雨が人に与える空気は、
時には深い憂いを誘うときが有る。

そんな時は案外と外気が冷たく、
風が花々を揺らすときが多い。

忘れていた気になる記憶が思い出されて、
ついその記憶の思いに、
例えば、故人、遠方の親戚、転勤の友、
趣味の不完全さ、健康

何か大切なものを失った事などの
記憶に、浸ってしまう
のである。

それもすでに解決ができない
事なのにであることが分かっていても。

外気が温かく微風が吹くときには、
気温に誘われて心の中も新しい気持ちが
芽生えるときも有る。
浮き立つ気分にもなり
誤って天気と錯覚して外出したい気持ちに
なったりする。

自分の内面に向き合う時間は雨の日
だったりするのかもしれない。

言えば春の雨は、魔法だ。
どうしようもない魔女だ。

2,3日前から、目に現れるギザギザの光は、
突然だった。
治ったけれど、突然現れた。

今は癒えているが、考えると魔女からの
贈り物だった。

春の雨は、
屋根に落ちる雨粒の音や、
曇りガラスに映る人影は、どの季節でも
変わらないのに春の雨の時期は、ひとの思考に
影響を与える度合いは、ほかの
季節より強いように思う。


薄煙の小糠雨が降る夜の
街路樹に立つとき、少し感情的に
なるのは、春の木の芽立つ気候のなせる
技かもしれない。

押しなべて思えば、
春特有の雨の風景はどこか物悲しさを
感じさせる。

それでこそ 
春と言う気候は文学、演劇、歌、俳句
等になくてはならない季題かもしれない。




ありがとうございました。


完。