今日8月28日は
豊臣秀吉が石山本願寺に城を築城し
始めた日です。
(tabiーmagu.jpより)
本能寺の変がなければ、織田信長が
この位置に築城していたかもしれません。
本能寺の変が起こった当時、四国の
長曾我部元親を攻め
ている最中でありました。
しかし、優勢な勝利だが、明智光秀の
本能寺の反逆謀反で織田信長が自害を
知った秀吉は、長曾我部元親と和議を
結び急遽引き返し、光秀を討った。
その後四国を手中に収め
覇者としての基盤を作った。
その秀吉は、妻の「ねね」には一目置いていて、
仲はよかったようです。
夫婦に縁は、ある日鷹狩りに行った信長が、
浅野長政家で休憩時にねねに目を止めて
秀吉に婚姻を進めたことによるそうです。
(楠木誠一郎=作家 参考)
生涯において秀吉はねねを大切にしたと
言われています。愛情が豊であったのは
喜ばしいことです。
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この歌も切っても切れない 親子の愛情。
憎みながら慕っている子供と 気持ちを
世間のしきたりの間の中で、正直に
認められない苦しさ。
福田こうへいさん 歌い上げています。
●〽 瞼の母 ●〽
歌手:中村美津子
福田こうへい(カバー)
作詞:坂具とふみ緒
作曲;沢しげと
軒下三寸 借りうけまして
申し上げます おっ母さん
たった一言忠太郎と呼んでくだせえ
呼んでくだせえ たのみやす
おかみさん 今なんとか言いなすったね
親子の名乗りがしたかったら
堅気の姿で尋ねてこいと言いなすったが
笑わしちゃいけねえぜ親にはぐれた子雀が
ぐれたを叱るは無理な話よ愚痴じゃねえ未練じゃねえ
おっかさん俺の言うことをよく聞きなせえ
尋ね尋ねた母親に倅とよんでもらえぬような
こんなやくざに誰がしたんでえ
世間の噂が 気になるならば
こんなやくざを なぜ生んだ
つれのうござんす おっ母さん
月も雲間で 月も雲間でもらい泣き
何をいってやんでえ 何が今更、忠太郎だ何が倅でえ
俺にゃおっ母さんはいねえんでえ
おっ母さんは俺の心の底に居るんだ
上と下との瞼を合わせりゃ逢わねぇ昔の
やさしい母の面影が浮かんでくるぁ
逢いたくなったら 逢いたくなったら
俺ア 瞼をつむるんだ
逢わなきゃよかった 泣かずにすんだ
これが浮世というものか
水熊横丁は遠灯り 縞の合羽に
縞の合羽に 雪が降る。
おっ母さん〜~。
(了)
この親子の愛情もハッピーーエンド
であってほしいですね。
ありがとうございました。
完。