ある銀行の失って古い通帳を
復活するためにJR京橋に行った。
久しぶりに、電車にのった。
あさの通勤電サやなのに
所どころ、空席がある。
コロナ時世の現象と痛感する。
この街に来たのは、いつ頃だったか。
もう3年になる。
もっと昔は、この界隈に出ては、
私は今ではすっかり足をあらって
しまったが、友人と、酒を傾けて
あほな談義を語り合ったことが
あった街である。
かすかなかぜに乗って、自分の好きな
イイチコの匂いが鼻に匂ったような
夢の中の幻想が通り過ぎていくような
錯覚が起きる。
この街にもあの終戦前の混乱期にには、
悲しい思い出の物語がある。
大阪はお会い数にして8回にわたる
大空襲に見舞われていてた。
時は1945年8月14日に150機からなる
B-29の編成で行われた。
残念にも、終戦びである8月15日の
前日であった。
その大きな目的は、森之宮にある
大阪陸軍造兵廠の再三の爆撃であった。
森之宮、京橋駅は、徒歩で20分ほど
しか離れていない。
再三の攻撃にもその兵廠は、生き延びていた。
この爆撃で大阪陸軍造兵廠は壊滅。
その余波でもって京橋駅も被弾する
のである。
犠牲者は、判明したものだけでも210名以上
不明者を合わせると600名以上と言うことだった。
(ウェキペディアの略述)
世にもむごたらしい縦断爆撃は、はじめは
軍用基地、軍舎などの地域を爆撃する
精密爆撃機であったが、
その精密攻撃の攻撃の方法も
変わっていったことから次第に
縦断爆撃にうつっていった。
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帰りに、いまの社会のありがたさを
ぼんやりと感じるのである。
ありがとうございました。
おやすみなさい。
完。