黒田藩は九州の現在の福岡で、
江戸時代は福岡藩として
黒田氏が納めていました。
黒田藩と聞けば、黒田官兵衛を
思い出します。
黒田官兵衛は1546年12月22日姫路で
長男として生まれ、
実母直接育てられたとされています。
官兵衛は、文武両道に長けていて、
戦場においても恋歌、茶の湯、などを
たしなむ武士であったと言われています。
この歌は、福岡県民謡ですが
1942年5月20日当時の赤坂小梅さんが
歌う曲としてコロンビアレコード
から発売されましたが、「黒田武士」と
して吹き込まれましたが、
当時の戦時中から、戦後1950年には
「黒田節」にタイトルが変更になり
小梅はこの歌で一世を風靡したのです。
● 〽 黒田節 ●〽
歌手:福田こうへい
作詩:福岡圏民謡
作曲:同
一番〽
酒は飲め飲め 飲むならば
日ノ本一の この槍を
飲み取る程に 飲むならば
これぞ真の 黒田武士
二番〽
峰の嵐か 松風か
尋ぬる人の琴の音か
駒ひきとめて 立ち寄れば
爪音高き 想夫恋
三番〽
(以下略)
さすが、
袴、姿は良く似合います。
キリリとしたいでたち和服に袴
よく似合います。
こぶしの使い方は天下一品。
三橋美智也の跡継ぎピタリ。
高音域の声は、さすがです。
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黒田節とは黒田藩ので生まれた
この歌の元となった逸話があります。
黒田藩の黒田長政藩主と官兵衛は、
福島正則方に朝鮮出兵の帰りに立ち
寄ったのです。
黒田長政から母里太兵衛(友信)
は厳しく禁酒を命じられていたのですが、
祝いの宴の際に、正則に
「この大杯の酒を飲めば、思うが儘の
褒美を取らす」とけしかけられてつい、
酒に手を出したのです。
その場で見事、飲み干してしまったのです。
福島正則:約束通り何が欲しい。
と問いかけられて
母里太兵衛(友信)は「日本号(日本3
大名槍の一つ)をください」と頼んだ。
そして見事にその大盃を飲み干してしまう。
ここは正則は「武士に2言はない」と授けた。
日本号はその日本号なる名槍を勝ち取った。
(ウィキペディア 「黒田節」まとめ)
歌にもある「 飲み取る程に 飲むならば~」
この心を示した詩でしょうね。
有難うございました。
おやすみなさい
完