宇奈月ブログ

人生の旅人

私と田畑義男さんの「帰り船」。

終戦となり、民間人は内地に引き揚げ
てきました。

そのなかで民間人での引き上げた者は、
550万人といわれています。
(ウェキペディアまとめ)

9月ごろ私の家族は、引き上げ者
として日本に向かいました。

ある田舎町で母の郷里に
落ち着きました。

帰国してからも、両親は」
外地帰りと言って様々な
ことで、障害を受けた。

食べることでいっぱいであったから
仕方がなかったでしょう。


まだ多感な時代でした。
父母に問い詰めました。なぜ
外地などにいた理由を。

しかし、母は、多くを言い
ませんでした。

後から考えると、親心だったのでしょう

後で、親戚の人に教えて
もらったのですが

相当、外地では、舌に表せない
辛酸な時もあって、
仕送りなどを行ったといって
いました。

引き揚げれたことを何より
喜んでくれていました。

父母の言うのには
現地で村では十数所帯が生活
していました。
当時帰還できるのは、ほか1家族だけでした。

日本に帰れただけでも、奇跡だった
と言っていました。

しばらく、心が暗かったことを、
覚えています。

すぐに高校合格の知らせで進学
決まった出来て、うれしさの
あまりすっかり忘れていました。

それから月日がたち、
今から6年前、歌の会で、田畑義男さんの
「帰り船」に出会ってから、この歌は、生涯の
の持ち歌として、歌うようになりました。

www.youtube.com

歌といえば、 歌手、福田こうへいさん 
もばたやんの歌を歌っています。次期紹介します。

両親は他界して今は、そのいきさつを
知るものはいなくなりました。


数十年がたち令和2年になり
自分でも風化していっています。
備忘録として残します。


有難うございました。


完。