宇奈月ブログ

人生の旅人

新しいグランドゴルフ(略語 GG)チームに入ったよ。

 新チームデビュで-珍しいホールインワン
桜のにおいが漂う、青空がきれいな4月3日、新しいグランドゴルフ(略語 GG)チームに入った。
 女性のチームメイトから誘われたのがきっかけだった。
そのグランドは建物の屋上にある「中空庭園」と形容するにふさわしい芝の貼った庭だった。
ホームしかプレーしたことのない私は、----ちょっとした大会にはプレーしていた

    • 少し緊張気味に知らされていた場所に急いだ。

 9時プレーと知らされていたので、30分前に現場に到着。早々に自己紹介。初めて顔を合わせたが、
11人の笑顔で仲間の加わったのを歓迎の拍手で迎い入れてくれた。
見渡すと10組程度集まっていて大きなクラブだなと    妙に力がわいた。


私を入れて12名が 2組に分かれて試合開始。打順抽選が始まりわたしは6番のビリ運をひいた。
5番のAさんは競技で何度も優勝に絡んだ強者だと聞いた。
 1ラウンドが始まった。まず1ラウンドの1—6コースはスコアーの開きがなく皆2打でマトリ(次1打で入る状態)できる状態。
皆うまい。Aさんは今日も淡々と7コースではホールインワンを達成。本当にうまい。私も必死に続く。
8コースも淡々と進んで、波乱は起きなかった。


ーー競技方法)  
友達に聞いても「ああ、ゲートボールやね」と一般の人から返事が返ってくる。

--ー? 似て非なるものと言いたいところを----堪えて プレー形式を説明すると
似てる、似てるね。でもちょっと違うんですわ。校庭、公園や広い空き地でプレーするのは、一緒やけど、 1組6人でプレーするんやわ。8本の旗がまちまちの間隔で分けられていて、1コース~8コースまで番号付けられて立照られてますねん。で、長さは例えば15、25、30、50メートルをランダムに配置配置してプレーしますねん・このホールをいかに少ない打数でフィニッシュするかを競います

   

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レイコースレイアウト
(配置は上図参照ください。)









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何事もなくゲームは進んだ。2ラウンドでは
珍しいプレーがーーー


                              


                                次に続く

そして------------思いもよらない出来事が

そして------------思いもよらない出来事が
待っていた-----------!!
         

私たちは、森口車庫行きのバスの停留所、

      • 当時OSビル付近にあったか
      • に向かった。

何時ものことだがすでに人垣が出来ていて、
乗り遅れまいと学生や帰宅する老若男女と
でゴチャついていた。

1,2台目は満員でスルー,、
3台目に来たバスに乗り込み、

手すりに捕まって満員の車内で
小さく揺れてながら目的到着を待った。

はじめは遅延もなく4月とはいえ車内は
初夏のイメージの中、バスは走った。
 
バスも久しぶりだな
9時までどないして時間つぶっそか---                 
考えてるうち、バスがストップ、
あと1時間ほどしかあらへんがな。

遅れたら明日上司に怒られるがな。
天六まで早よつけよ-----------つ。

駅は見える距離だがバスは
ストップしたまま、

体感としてずいぶん停車してたような
記憶がある。

すでに目の前、
左右の横は、行き場を失った自動車、

自転車が津波に押し流されて
行き場を失った漂流物ようだった。

やがて 乗客がざわつき始めた。
 
「運転手さん、何とかなりまへんか。」
二人後の人が言った。

無茶な言う人なや、と私は思ったが、
誰もおもっただろう。

それが合図だったようにあちこちで、
これはおかしいと気付き始めた。

窓を開ける者、しゃがみ込む
年配の女性、大きく咳をする人、

熱いようでネクタイを緩める人
ハンカチをそっと横顔に当てる人

私たちも限界にきていた。
何かに突き動かされていた

私は駅まで行けばタクシー 
なんとくなる------いまだ。
私は運転手に言った。

急いでます。ここで降ろし
てもらえませんか。

私の今のきもちは、自分からの
意思で冷静に言っている言葉ではなく、

何かに突き動かされていると
ゆうような状態でした。 

同僚の意向など考える余裕など
ありませんでした。

一呼吸おいて運転手は、
待ってください。危ない、危険です。

とにかく、急がなあきまへんので。
時間がありません。すんません

運転手、

                    • もうす駅です。

                           
待ってください。危ない、危険です。     
                            
少し間をおいて 
運転手は 
では -------こちらで降りる方!!。
前のほうに移動ください。
臨時に 止まります。
                                      
奥や、左右からと、三々五々、
集まり 5~6人集まり、
弾むように降りて私たち加わった。 
一斉に、本当に一斉だった..
すぐに天六駅に走りながら、
タクシー乗り場に向かってはしった。
幸いにも
タクシー拾うと、ぐったりと
座り沈み込みながら 
2人で「-間に合った」と思った。

2人で少しの会話を交わしたのち、
会話が途切れ沈黙して

しばらくたって
「ドドッド」と、どこかしら聞いた
ことのない音がして、

私たちを車ごと揺らした・
 車が横滑りしたようだった。

運転手は何ですか、いまのは。
危ないね、ハンドルとられましたわ。

何か起こったん違いまっしゃろか。
道を急ぐように運転手をせかした。

こんなこと今まで知らんわ、と不思議がっていた。
 しばらくして学校到着し二人は別れた。
彼の顔の表情は記憶にない
が、たぶん少しはこわばっていただろう。

 何事もなく式のスケジュール通りに進んだ。
わたしはいま記憶にないが、後輩たちと笑談、
よく食べた比較的安買った夜食べ、
懐かしい構内見学と、時間をつぶしながら
9時後ごに母校を後にした。

帰りは、片町線--
今のJR学研都市線----鴫野駅㎞あら帰宅した。

帰宅したとたん。
妻が「無事だったん」よかった-

      • と涙ぐむんでいるのをを今でも

覚えている。

テレビでの臨時特集では
放送していた。

    • バスに残っていた人達は----
  • どうしただろう。

私たちだけが助かったって

                • 事故ほんまか--------

でもほんとやな-----かわいそうや。
頭の中がぐるぐるまわった。
私も加害者のような気持ちになり
1ッカ月モヤモヤの気持ちがついて回っり、
整理のついたのは半年ぐらい経過した後
のようだったと記憶している。
一寸の不注意は人災を生み
今も大きな事故---
片町線脱線事故など------
は悲しいかな無くなっていない。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%85%AD%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%88%86%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

https://www.youtube.com/watch?v=kLdiKjaVexE

                                      
 
※何分遠い月日がたっている為、記憶違いも有ろうかと思いますが、できるだけ忠実にたどったつもりです。背景、事象が若干違うにはお許しくだされば幸いです。                                       

                               完  

   
    

春---------------また奇跡が起こった日がやってきた

●----1分の会話のやり取りが
生死を分けた---------●

    49年前の春、1970年4月8日 大阪でその出来事は起こった。その日は
から、大阪は曇りだったと記憶がある。当時私は天王寺近くの会社に勤めていた。企画、まとめを任される立場で、その日は午後1時から特に新入社員数名と業務の進行と対策についての作業中だった。

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                            現在の寺田町 駅

その後、会議も終わりに近ずく3時半ば突然上司が出席して私に甲高いこえで言った。

上司-----「梶(新入社員仮名)がな、今年o大に入学が決まったんや。6時から入学式でな、夜間やけん。不安もあるやろから一緒にいったれや。今日は早上がりでええから頼むでと。話す。

私-----「梶?誰や?---------------ああそう,,
あいつやな」と一瞬に思い-------.
急に言われてもと思いながらも、-----------
しゃないな同窓生やからな、

と気持ちを切りえ仕事を早々切り上げて時計を見ると3時半ごろであった。          
入学式は6時15分に始まり、学長の挨拶、各学級でのオリエンティションや学級割り振り結果の確認、担任や生徒同士との顔見世、などで、終わるのは9時過ぎで有ることは学校側から知らされていると彼は私に告げた。

三十才を過ぎる4年生文科系大学を卒業後、営業畑を歩いていた彼(梶)と寺田町駅
で落ち合ってk大学に向かった。2年前、通い慣れていた通学路線------寺田町―梅田の環状線梅田下車-----バス路線森口行き乗車、大宮小学校前下車徒歩10分-----と、昔の通いなれた道順を思い出しながら環状線の梅田駅に二人で到着---------------------そして改札をでた。---------------------                                    
                                       
そして------------思いもよらない出来事が
待っていた-----------!!
         続

人生3/4世紀を超え人生で、初めてブログにむきあいました。宜しくおねがいします。

 

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------出雲 宍道湖  千鳥城

------思えば遠い ふるさとよ

------湖畔を抱いた 城下の四季よ

------思い出しては 湧き出す望郷

------希望を持てよ 誇りを持てよ

------語り尽きない 不昧公----「南部蝉しぐれ」1番目の 編詩(カエウタ)

 

 

人生の旅人(タビビト)として嬉しい事、ちょっぴり優しいこと、ちょっぴり憂うこと、そしてまた元気になる事柄を斜交いに見て、表せるといいなと思います。